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キングダム:太后(たいこう)の波乱の人生は史実?史実とそうでないところを徹底解説!

政の母である秦国の太后は、もともと趙の人間でした。

趙にいた頃の彼女は順風満帆で幸せな日々を過ごしていたのですが…

最愛の婚約者に裏切られた日から人生が一篇…!

波乱の人生が始まります!

本記事では、キングダムの作中で描かれている「太后の波乱の人生」の紹介と

作中のストーリーで、史実通りのところと、そうでないところを徹底解説していきます!

キングダム:作中の太后(たいこう)はどんな人物?

太后(たいこう)は邯鄲の宝石と称された一流舞姫

趙にいた頃の彼女は、その美しさから”邯鄲の宝石”と称され、

”美姫”という愛称で呼ばれ、多くの男性から求婚されていました。

当時の彼女は一流舞姫という栄誉と、

生涯を共にすると約束した婚約者を持ち、幸せの絶頂にいました。

ちなみに美姫の婚約者は、あの呂不韋です!

当時、趙の商人だった呂不韋と美姫は許嫁だったようです。

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太后(たいこう)の波乱の人生の始まり

呂不韋と結婚すると思っていた頃の美姫は本当に純粋で可愛らしい女性でした。

しかし呂不韋は、自分が大金をはたいていた子楚(後の荘襄王・政の父)が

美姫に好意を抱いていることを知った途端、

美姫が自分の婚約者であることを隠して、子楚に差し出したのです…!

美姫はある日、子楚の下へ連れて行かれ、

「今日からお前が愛するのはこのお方だ」

と呂不韋から言われたのでした…。

最愛の人からの突然の言葉に、美姫は目の前が真っ暗…。

ここから美姫の波乱の人生が始まります…。

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太后(たいこう)の一流舞姫からの転落

子楚と結婚した美姫は程なくして身籠り、出産します。

この産まれた子が嬴政。

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しかし、美姫は「邯鄲の宝石」と称された頃から一転、

「敵国の王子を産んだ女」という目で見られるようになります。

夫の子楚は、父が崩御したことにより趙から脱出。

秦で王位につきます。

美姫と政は一緒に脱出することができず、趙に取り残されてしまいました。

咸陽から物資の支援が届くことはなく、

美姫も政も生き延びるために、その身を汚しながら何とか日々を食いつなぐのでした。

太后(たいこう)が愛のない非情な母親に

趙での貧しく辛い日々は、美姫の精神を崩壊させました。

この辛い現実は産まれてきた政のせいだと思い、政に虐待を繰り返したのです。

政が王位についたことで趙から脱出し、

太后となった今も、政への愛情が芽生えることはなく…

政VS呂不韋の権力争いも、我が子ではなく、かつての恋人”呂不韋”の側につく程…。

唯一の身内である母親からそのような仕打ちをうける政が不憫に思えてなりません。

キングダム:作中の太后(たいこう)の波乱の人生は史実?

太后は史実によると、趙出身だったため”趙姫(ちょうき)”と呼ばれたそうです。

邯鄲の宝石という異名や、美姫という愛称はキングダムオリジナルの呼称でした。

太后(たいこう)は呂不韋と恋人だった?

呂不韋と恋人だったことは史実通り。

趙姫は豪族の娘だったので、当時趙で商人だった呂不韋とは、同じような身分だったのでしょう。

そして、婚約していたにも関わらず、子楚に差し出したのも史実通り…。

出世のためなら手段を選ばない、呂不韋の非情さがよくわかりますね…。

キングダムの作中同様、趙姫も相当ショックを受けたはずです。

政は太后(たいこう)と呂不韋との子?

趙姫は子楚と結婚し、政を出産するのですが、

実は結婚したとき、既に呂不韋との間の子を身籠っていたという説もあります。

これに関して、キングダムの作中では呂不韋が「計算が合わない」と、

政が自分の子であることを否定するシーンがありました。

真相はわかりませんが、仮に政が呂不韋の子だったとしても、

呂不韋は絶対にそれを認めなかったと思います。

政が王の血を受け継ぐ者でなければ王位から外され、成蟜が王位に就くことになります。

そうなるのは呂不韋にとって不都合…。

丞相という地位を守るため、政が自分の子であることを隠蔽したはずです。

太后(たいこう)は呂不韋と姦通していた?

作中で、太后が後宮に秘密裏に作った「快楽の小部屋」へ呂不韋を招き、姦通しているシーンが描かれていました。

これは史実通りという説と、そうでないという説があります。

ただ、後に呂不韋が後宮に送り込んだ嫪毐とのことを考えると、

呂不韋と趙姫は姦通していたのではないかと筆者は思っています。

姦通していなかったという説は、それが明るみになると困る呂不韋側の人間が

カモフラージュのために言い出したことなのではないでしょうか?

太后(たいこう)と嫪毐との間に子ども?

これは史実通り。

趙姫との関係を続けることが、自分の立場を危うくすると考えた呂不韋は

自分の身代わりとして後宮に嫪毐という男を送り込みます。

そして趙姫は、なんと嫪毐との間に2人もの子どもを出産!

作中では嫪毐との関係も、子どものことも太后は隠していました。

しかし史実によると、当時の中国の道徳観では、この趙姫と嫪毐の関係は問題がない行為という説もあるそうです。

問題がない行為だったのであれば、史実では2人の子どもは公にされていたのかもしれませんね。

太后(たいこう)と嫪毐がクーデターを起こす?

嫪毐のクーデターに趙姫がどれ程加担していたかは不明です。

作中では、太后も嫪毐もそもそもクーデターを起こすつもりはなく、

ただ太后が咸陽を出て、嫪毐と2人の子ども達と安らげる場所を築きたかった…。

それを呂不韋が裏で糸を引いて、クーデターへと発展させたというニュアンスで描かれています。

史実では、嫪毐が太后の印璽を盗み出して反乱を起こしたと、嫪毐一人がやったかのように書かれていますが、

これは嫪毐に全ての罪を背負わせ、太后の罪を軽くしたかった王宮側の人間によって

捻じ曲げられた可能性大だと筆者は思っています。

太后(たいこう)の子どもは処刑された?

作中では、嫪毐との間の2人の子どもは、処刑したということにして、

実は政の慈悲により他の場所で匿って生きていることになっています。

しかし、史実ではクーデター後、嫪毐と共に2人の子どもは処刑されました。

ただ、嫪毐の処刑に関しては「車裂き」と具体的な記述があるのに対し、

子どもについては具体的な記述がありません。

もしかすると、史実でも政が処刑したということにして、

実は子どもを殺さずに救ってくれていたかもしれませんね。

史実の政に、そのような慈悲の心があるようには思えませんが…。

キングダム:太后(たいこう)の波乱の人生は史実?史実とそうでないところを徹底解説!まとめ

太后の記録はあまり多く残っていませんでした。

史実を調べて感じたことは、後世に残したくない事実は書かなければいいですし、

隠したい事実は、嘘で捻じ曲げることができるということです。

史実に書かれていることが正しいとは限らないという前提で見ると、

人によって全く違う解釈をすることができて面白いと思いました!

太后は本当はどんな人物だったのか?波乱の人生をどう思っていたのか?

記録が残っていないからこそ、考えるのが楽しいですね!

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